わたしはわたしにしかなれない

 

20170205 北村神父さま

メインワード「わたしはわたしにしかなれない」

マタイによる福音 5章・20−22a、27−28、33−34a、37 
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。
 あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
 あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
 また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
   
 完全であることは一見とても優れていて美しいものに見えるけれども、それは本当の自分の姿を見ないでいようというごまかしかもしれない。
 もし、自分を完全なものにしようとすれば、ありのままの自分を見失い、自分で自分を否定し、自分を傷つけてしまう。自分自身を傷付ける人は、容易に他の人を傷つけてしまう。わたしはわたしにしかなれない。
わたしは、不完全で弱い存在である。だからこそ、神を求めることができる。

 自分のダメなところ、失敗であったと思えることを心から認めて受け入れてもらえる方がいることを知るとき、生きることのすばらしさに出会える。そして、喜びと感謝に包まれる。
 


2017年02月05日