251214衣笠広報 マタイ11:2-11
鶴山進栄師
私が神学生の頃、神学科3年の時のことです。神学科3年は研究論文を提出しなければいけない学年です。当時旧約聖書を教えていたドイツ人のイエズス会の神父様を私、とても尊敬していたので、彼に指導をお願いして論文を書いたのですが、この年は四苦八苦することになります。毎週、課題を提出して添削していただいたんですが、ある時、こうお叱りを受けました。「あなたには考える頭があります」。私は課題として指定された本を読んでまとめて提出したんですが、それだけでは駄目だということだったんだと思います。でも私はこの言葉をその後、時々思い出すことになります。特にこの言葉を思い出したのはコロナ渦の時です。2020年の3月から信徒の皆さんと捧げるミサを一旦、休止するよう京都教区より指示がありました。2か月後、再開してもいいけれども、幾つか気を付けてほしいことがある、ということでした。そしてミサ再開の是非について会議をした際、当時、司牧していたある教会では賛否が分かれました。ちなみに近隣のある小教区ではすぐに再開するという状況でした。もちろんミサをすぐに再開したいという信徒の方がいましたし、当時の協力司祭もすぐに再開しましょうと言っていました。でも「もしクラスターが発生したら2度と集まれません。慎重にしてほしいです。ミサ前と後の除菌は大変です。一度、できるかどうか試してからでもいいんじゃないですか」という意見もあり、最終的には私、「慎重にしましょう。先ほどいただいた意見の通り、実際できるかどうか、評議員で2回ほど試してみてからで、いいと思います」と言いました。その時、機嫌を悪くされた方もいましたし、協力司祭との人間関係にヒビが入るかもしれないと、正直、しんどい思いはしました。でもクラスターが起こって教会に二度と集まれなくなることを考えたら…嫌われる勇気が必要だなとその時、思ったものです。
今回、今日の福音の箇所について、注解書を開いて「風にそよぐ葦」「しなやかな服を着た人」という表現に関する解説を読んでハッとしたんですね。「風にそよぐ葦」とは定見なく時流に従う人とありました。言い換えると自分の考えや信念を持たないで、周りがこうしているから自分もそうする、ということだと思います。「しなやかな服を着た人」は、表面を飾って権力を振るい、またそれにおもねる人,とありました。
私、この解説を読んだ時にふと思い出した人物がいます。ナチスのアイヒマンです。ナチス親衛隊であったアイヒマンは、ユダヤ人を強制収容所に移送した責任者でした。戦後、イスラエルで行われた裁判でアイヒマンは、自分は「上からの命令に従っただけだ」と無罪を主張しました。アイヒマンの行った残虐行為は赦されないものです。しかし「上からの命令に従っただけだ」。この要素自体は私たちの生活を振り返ってみたら結構ありますよね。
イエス様は群衆に対して洗礼者ヨハネのことを時流にも逆らい、権力にもおもねない人と紹介しました。
私はこの個所を黙想した時、「あなたには考える頭があります」という恩師の言葉を思い出しました。私たちは周囲に流されたり権威ある者に指示を受け思考停止することがあると思います。いつも洗礼者ヨハネのようにできないかもしれない。でも立ち止まること、自分の意見を持つことで、失敗や悪を止めることができることがあると思います。
参考文献 新共同訳 新約聖書注解Ⅰ P84