4月26日 衣笠広報
鶴山師
第二バチカン公会議の教会憲章の中で、修道者に関する文書も幾つかありますが、修道者を分かりやすく説明している文書は私は教会憲章の46項ではないかと思います。「修道者は、教会が、自分たちを通して信者にも信者でない人にもキリストを真に、日々、よりよく示すものとなるよう熱心に努力しなければならない。彼らは山上で観想するキリスト、あるいは群衆に神の国を告げるキリスト、あるいは病人や負傷者をいやし罪人を実りある生活に立ち返らせるキリスト、あるいは子供たちを祝福し、すべての人に恵みをもたらすキリスト、自分を派遣した父のみ心に常に従うキリストを人々に示さなければならない」。実際は修道会の霊性というものがあるので、教育修道会なら全部同じような生活と理念であるとか、観想修道会は全部同じような生活様式であるというわけではありませんが、修道生活の基本はイエス様に倣うというところから来ているはずだということが上述の文書を読むと分かります。
さて第二朗読では私が心に留まった個所は、21節「模範を残された」と箇所です。 この「模範」という言葉の原語はὑπογραμμός(ヒュポグランモス)という単語なのですが、これは子どもが文字を練習する時のお手本です。当時、子どもたちは点線で書かれている、この手本をなぞってアルファベットを練習していたんですね。 つまりキリスト者はキリストの苦難の生涯の足跡を一つ一つなぞって自分の生活で実践すべきである、これが本来的な意味です。 でも今回、私は第二朗読を黙想する中で、イエス様の御生涯というのは苦難だけでなく、全てが倣うべきお手本であると思ったんですね。 私はイエス様の御生涯のある部分に焦点を当てて手本としたものが修道生活であり、牧者としての要素に焦点を当てたものが教区司祭ということになるのかなと思っています。 でもイエス様の御生涯を学ぶ、倣うことは司祭修道者のみならず信徒の皆様にとってもそうすべきことであると改めて思います。 子供が文字を練習する時、最初の内は点線からずれたりします。でも繰り返し文字を練習するうちに、少しずつ、きれいな字が書けるようになってきます。私たちもイエス様の足跡という点線をなぞるのは大変かもしれません。最初はうまくなぞれないかもしれません。でも繰り返してみるとどうでしょう。少しずつ、様になってくるかもしれません。
そして復活節第4主日はよき牧者の主日と言われますし、バチカンのウェブサイトの見ていますと叙階式もあるようです。ですから教会の司牧者とその究極のモデルであるイエス様のことを思い浮かべるのは普通のことかもしれませんが、これは責任をもって人を養い育てる人、世話をする人すべてがよき牧者の使命を持っているように思えます。 イエス様は「私の羊の世話をしなさい(ヨハネ22:17)と言われますが、毎日向き合い、心を配ることは大変なことです。
ところで私はお医者さんに運動しなさいと言われているので、カルメル会のミサを司式する日は、できるだけ歩いて修道院にいくように努力しています。当然、(京都)聖嬰会(児童養護施設)の横を通ります。今年の1月の成人の日も歩いてカルメル会の修道院に向かっていました。すると、ドアのガラス越しで、ぼんやりとしたシルエットでしたが、玄関で何が起こっているのかが分かりました。着物を着た女性が中にいるのが分かったんです。きっと、聖嬰会を卒業して社会に出た女性が、振り袖を着て職員さんや後輩の皆さんに会いに来られたんじゃないのかなと思いました。職員さんにはお礼の気持ちもあったでしょう。聖嬰会の職員さんにとっては普段の努力と心配りが報われた時だったのではないかなと思います。
私たちはそれぞれ司牧者、親、あるいはお歳召したご両親の介護を引き受ける者、または職務上、子どもたちを守る責任がある人、あるいは部下を持つ上司という立場・役割があると思います。つまり牧者の役割があるんです。そう考えると牧者の役割というのは地味なこと、目立たないことの積み重ねなんだと思います。でも「ありがとう」と言ってもらえるのであれば、確かに私たちは大切な使命を忠実に果たしていると言っていいのではないか、そう思います。