四旬節第3主日の勧めのことば(尹師)

年間第34主日 マタイ 25 章 31~46 節

今日の第一朗読は、出エジプト記です。神は、奴隷として生きたイスラエルをエジプトの地から導き出し、十戒を与え、生きる道を教えます。命令に従った生き方は、イスラエルが解放された民として生きていくための道でもありました。 第二朗読の使徒パウロは、神の考えと、そのなさることが、人間には愚かに見えても、また弱く見えても、その愚かさは、人間の知恵よりも賢く、その弱さは、人間の力よりも強いものです、と伝えています。

今日の福音で、神殿を商売の家にするのは、人間が神のみ旨に従うのではなく、自分の目的のために、神様を利用することを意味します。イエス様は神様の家である神殿で、人間的な利益を追求する行為を禁止させます。人間が念を入れて建った神殿は崩壊されて、復活されたキリストが、まさに私たちの神殿になられるのでしょう。今日イエスが追い出した動物は共観福音では鳩だけですが、ヨハネはさらに「羊」と「牛」を加えています。神殿が商売にならないためには、生贄としてささげる羊や牛を必要としない祭儀にかわらなければなりません。そのために、イエスは真の生贄の羊として死にました。

イエスの犠牲のおかげで、生贄の動物を不要とする祭儀、すなわちごミサが定められたのです。今日の福音の中に描かれている「熱意」とは生贄を不要とするために十字架に死ぬイエスの愛の熱意を表しています。この行動に腹を立て、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と迫(せま)るユダヤ人たちに、イエスは「神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハ2,19)と言い、イエスの受難、十字架の死、復活こそが、その「しるし」であることを暗示しています。しかし、ユダヤ人はイエスの言葉が理解できませんでした。

この無知が、永遠の命の源である神を十字架に釘付けにし、殺してしまったのです。この無知は罪です。イエスはこのユダヤ人の誤解を背負ったまま、ひたすら「しるし」を成就するために十字架に向かっていきます。今日、福音の「建て直す」(エグイロー)とは「眠りから起こす」という意味です。目覚めているから見えることが出来るし、聞くことが出来ます。そして理解し、復活して永遠に生きることがわかるという意味でしょう。主が建て直し、新しい神殿、「神の家」はまさに私たち自身です。神の霊がとどまる「聖なる所」なのです。この聖なる神殿に押し売りが入り、蔓延し、「お金」が主人に成りすましています。

使徒パウロは、「イエス・キリストというすでに据えられている土台を無視して、誰も他の土台を据えることが出来ません…あなたかたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることをしらないのですか。神の神殿を壊すものがいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです(Ⅰコリ3:10,16~17)」と言います。この聖なる神殿では商売、貪欲ではなく、「祈り」と「賛美」と「感謝」「奉献」という真の愛の犠牲の生き方を捧げることができるよう願いましょう。神様の聖なる神殿である私たちを祭壇として、いつも主とともに祈り、賛美と感謝、愛の奉献ができますように・・・

2021年03月06日