年間第26主日 マタイ21章28~32節(尹師)

年間第26主日 マタイ21章28~32節

今日の第一朗読では、預言者エゼキエルは主が公平と思われる人生の道を伝えます。正しい人と言われる人でも、正義から離れて悪を行うと死ぬようになり、悪人でも自分が行った罪から離れ、公正と正義を行うと命を救われるでしょう。二朗読はフィリピ 2・1−11、 または 2・1−5です。使徒パウロは何事でも、利己心や虚栄心ではなく、謙遜な心で行うようにと命令します。これがまさしく、わたしたちが保つべき、イエス様がもってらっしゃる御心であります。

今日の福音は、イエス様が「二人の息子」のたとえを通して、御父のみ旨を正しく実践する生き方は、どんなことなのかを悟らせて下さいます。そして、義の道について教えられたことを信じた徴税人や娼婦たちが、先に神の国に入るだろうとおっしゃいます。彼らの信仰と実践の方がより良かったからです。《イエス様が二人の息子のたとえ話を語ったとき、それを聞いていたのは「祭司長や民の長老」でした。お父さんが二人の息子に「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った時、兄弟の返答は、それぞれ従順と不従順の形で現れます。兄の不従順な反応は、お父さんに苦しみを与えたのですが、兄は後で考え直して出かけます。それを知ったお父さんの心は、喜びで満ち溢れたことでしょう! しかし、「承知しました」と答えただけで従わなかった弟の行いは、「はい」という答えを聞いたお父さんの喜びをひっくり返す結果になりました。「お父さんの思い」を果たすということは「いやです」「承知」しました」という口だけのものではなく、実際にぶどう園の仕事に「出かけて行ったか」「行かなかったのか」と いうことで決まります。ところで、イエス様が、「徴税人や 娼婦たちがあなたたちより先に神の国にはいるだろう」といった理由はどんなところにあるのでしょうか?イエス様が来る前に、洗礼者ヨハネは人々に「義の道」 (正しい道)を示し、「主の道を整え、その歩む道をまっすぐにせよ」(マタイ3、3-4)と述べ伝えました。徴税人や娼婦たちは、ヨハネの教えを受け入れ彼を信じ改心しました。しかし、ユダの指導者たちはヨハネが伝えた義の道から外れていきました。彼らはイエス様を排斥する前に、「正しい道を教えている」ヨハネをも拒否していました。また、彼らは徴税人や娼婦たちが回心する姿を目の当たりにしながらも、ヨハネを最後まで 信じなかったのです。 マタイ福音書はイエス様とヨハネを神様のみことばを伝える預言者、神様が望んでいる「すべての義を果たす方」であると紹介しています。そしてイエス様とヨハネは「神の国は近づいた」(マタイ3、1-3)と宣布して、宣教を成し遂げられたのです。

ヨハネに示したユダの指導者の態度は、イエス様に対しても同じものとなり、それは神様に対する態度となりました。「あなたには信仰があるが、わたしには行いがある。行いを伴わないあなたの信仰をわたしに見せなさい。そうすれば、わたしは行いをもって信仰をみせよう。」(ヤコブ2,18)という使徒ヤコブの言葉が浮かんできます。信仰は理念ではなく、実践的な行いを通して現れます。イエス様はたとえ話を通してユダの指導者たちの矛盾だらけの信仰の生活を非難すると同時に、わたしたちの信仰が生活の中でことばだけではなく行いを伴うものとなることを促しています。

神の国に入る資格を失わないように、信仰と実践をより高めていけるよう。

2020年09月26日