2023/01/03 1月1日「神の母聖マリア」のミサ説教(柳田師)

1月1日「神の母聖マリア」のミサ説教

イエズス会司祭 柳田敏洋

今日の元旦のミサは「神の母聖マリア」を祝う日であるとともに、「世界平和の日」とも定められています。昨日の大晦日にもウクライナの首都キーウがロシアによってミサイル攻撃を受け、日本人の報道記者も負傷したというニュースが伝わってきました。昨年2月にロシアがウクライナに軍事進攻したときに、21世紀にこのような戦争が起こるのかと私たちは衝撃を受けました。それは今も続いています。ウクライナでは500万人の子どもたちが国内や国外に避難したと言われ、その中には親を失った多くの子どもたちがいます。戦争が終わったとしても親を失った子どもたちの心の傷は癒えることがありません。
 このような苦しみを抱える世界にどのように平和をもたらすことができるのでしょう。イエス・キリストを救い主として信じる私たちはキリスト教信仰からどのように向き合っていったらよいのでしょうか。

私たちにとって大切なのは生きる基盤をどこに置くかです。私は司祭になって今年で32年となりますが、ますます確信するようになったのは「神は愛」ということです。この世界にどれほどの苦しみや悲惨が渦巻こうとも、この世界は神の限りない愛に包まれているのです。それは私たちがよい人間であろうとエゴイスティックな人間であろうと、神を信じていようと信じていまいと、それを超えて神が私たち一人ひとりを限りなく愛してくださっているということです。この愛は私たちがこの世に存在した時から私たちに届いています。私たちのほうが神を忘れようとも、「神も仏もあるものか」と神を否定しようとも、神のほうは私たちを見捨てることなく無条件に愛し続けてくださるのです。ここに生きるための根本の土台があります。私たちはこの世の闇がどれほど深くてもそれを超えて届いているこの神の愛に常に立ち戻り、そこから現実の問題に向きあっていく必要があります。

神の愛に立ち戻るとはどういうことでしょう。私たちは天国に入りたいから、神を信じ神を愛するのではなく、地獄に落ちるのが恐ろしいから神の戒めを守るのではなく、どのような私たちであろうとも神が限りなく私たちを愛し、その愛が撤回されることは決してないことを信じ、この神の愛にほだされ、神の愛に応えて同じ愛を生きようとすること、ここに条件を持ち込まない愛の生き方、私たちの大切な生き方があります。
 神の無償無条件の愛に応えて、無償無条件の愛を生きようとするとき、この愛には責任が伴います。ときどき私たちは神任せにしようとしたりしますが、私たちが願う前から私たちに必要な恵みは神からすでに余すところなく与えられているのです。ですから大切なのは、それぞれが置かれた場で、愛に基づく責任ある行動を自らとっていくことです。

教皇フランシスコも「世界平和の日」のメッセージで「私たちは、責任と思いやりを持って、私たちの世界の課題に立ち向かうよう求められているのです」と述べ、さらに「こうした状況にあっては、神の無限のいつくしみの愛に触れて生まれる、利他的希望をもって身を尽くすことで初めて私たちは新しい世界を築き、愛と正義と平和のみ国である、神の国の建設に寄与できるのです」と述べておられます。私たちも愛に伴う責任を引き受け、これに応える必要があります。

今日のルカの福音で「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(2.19)と書かれています。聖母マリア様は出来事を表面的にとらえたり、その出来事に右往左往するのではなく、心の奥底に降り立ち、そこに届いている神の無償無条件の愛の場から出来事を見つめ、神の愛に響く心で思い巡らす態度を持っておられたと思います。
 神は、一人ひとりが聖母マリア様に倣って、心の奥底の神の愛の場から出来事を見つめ、考え、行動するよう願っておられます。そここそが愛と慈しみ、そして平和を紡ぎだす場です。与えられた場で身近な人たちに愛と平和を紡ぎだし、それを世界に広げていけるよう恵みを祈りましょう。

 

2023年01月03日