年間第28主日 マタイ22章1~14節(ユン師)

年間第28主日 マタイ22章1~14節

《第一朗読は「アッシリアによるエルサレム侵略を前にして、イザヤは神の裁きをその出来事のうちに見出すようにと人々を諭します。そして後に来る「新たな時」が宴という象徴でもって示されます。第二朗読パウロはフィリピの共同体からの贈り物を感謝の心で受け取り、牢獄の中から手紙を送ります。

福音朗読においてイエスは、王が息子の結婚を祝うために宴を催すというたとえ話を語ります。最初に招待された人々は、言い訳を言って謝りながら宴を欠席します。今日の福音では、天の国について婚宴のイメージを使ってたとえられます。まずこの婚宴に呼ばれた人達は、神と契約を結んでいたイスラエルの人を指摘しています。先に招かれた人々は、王の宴の席に連なる栄誉をも落としました。

契約された宴会は決裂されました。招待された人々たちが断ったからです。仕方がない、新たに宴会を開かれます。家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆、招かれます。

道で声をかけられて集まって来た人々は王の食卓の価値を正しく認めた人々です。しかし、その席に着くには王への 敬意を表す「婚礼の礼服」を着ていなければなりません。家来は「善人も悪人も」すべての人をこの祝宴に招きました。これは救いの普遍性を現わします。
したがって「礼服」は、救いを手にするための善行ではなく、すでに与えられた救いに感謝を表すためのしるしです。

「礼服」を着ていなかった人は、その婚宴が誰によって準備されたものであるかをしらなかったのです。神は町の大通りに家来を遣わして、そこを通りかかった私たちの一人ひとりに声をかけ神と自身が準備を整えた「王子の婚宴」に招いています。

私たちは、ただ食事の席に参加するのではなく、神が誰であるかを知って宴席に着かなくてはなりません。復活したイエスがもたらした救いに招かれたことを知ったわたしたちは、その招きに対する感謝と、それにふさわしく生きたいと望む希望を「婚礼の礼服」として身にまといます。
「教会」とはそのような人々が集まり祝うための宴の場です。新しい契約を結んだ私達は、王の前で食卓を共にいたします。王が与えてくださる聖霊をまとい、受けた永遠の命をいつも感謝と賛美、喜びの心をもってごミサに参加するように改めましょう。》

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ 4・13)
天のお招きに参加できますように・・・

2020年10月10日