***福音宣教について***
――私の経験から――
鶴山 進栄
異動の前に松阪のヨゼフ会のシスターから「衣笠教会は熱心な信者さんがたくさんいます。良い教会です」と伺っております。今後ともよろしくお願いいたします。
さて、私はボーイスカウトの担当を仰せつかっています。私自身はスカウトの経験はないのですが、宗教教育やミサを依頼された際、対応するというのが、私の職務です。7年前、主に小学生が参加している行事のミサを依頼されました。その日の福音はマタイ18:15-20、「兄弟の忠告」の箇所でした。その際、事前に子供たちは教会との繋がりは直接的にない子供たちの方が多いと伺っておりました。その時の原稿を引用します。
たぶん小学生のうちはたぶんお父さんやお母さん、先生、あるいはスカウトの大人のリーダーの方から「こういうふうにした方がいいね」と言われることが多いかもしれません。 でもそれは大人になってから、以前こういうふうに言われたけど、そうしておいてよかったと思うことがきっと将来あると思います。
そしてそれは大人になってからでもそうです。20年前、私は特別支援学校の先生でした。その時にいただいた言葉で「こうした方がいいよ」ということがあって、今でも感謝していることがあります。私は人前で話をするのが今でもあまり得意な方ではありません。しかし、20年前はもっと苦手でした。当時、私は特別なことができれば・専門的な技術があれば仕事をするうえで問題ないだろうと思っていました。しかし、それは大きな間違いだった。先生たちとの話し合いや勉強会で、先生たちの前で話をしなければなりません。子供たちのお母さんやお父さんとも話をしなければならない。ある日、その学校の教頭先生は私にこう言われました。「先生、こんなことをいうのは失礼だけど、あなたはみんなの前で話をするのは苦手だろう? だから何を言うか紙に書いて、用意した方がいい。」 正直、ショックでした。でも教頭先生は私のことを考えていってくれたことはよくわかりました。その言葉を聞いてから私はずっと、今もそうです、その時言われたことを守っています。先生の時も、そして神父になってからも、そうしています。
今日の福音、イエス様の言葉は「こうした方がいいよ」ということでしょう。 きっと大人の人たちがあなたたちに言う言葉は、将来大きくなった時に困らないように、そんな思いがあると思います。だから聞いておいた方がいいと思いますね。
そしてミサが終わって電車で京都に戻ろうと思っていたら、私が乗っていた車両に偶然スカウトの子供たちやリーダーの方も乗車してきました。そしてリーダーの方の一人に次のように言われました。「子供たちが『今日の神父さんの話、分かった』と言っています。正直、難しい話をされる神父さんが多いです。そうするとミサの時、集中できません」。この話を伺い、考えさせられました。語りかける相手は誰か? いつもうまくいくわけではないですが、聞く人の心に届く努力はしないと…と思った出来事の一つです。
今日は聖霊降臨の祭日。そういったこともあり、福音宣教について考えてみたいと思いました。福音宣教は神様の願う教会共同体を形作ることだけでなく、世界・社会・地域・学校・職場に近づけていくことでしょう。私たちキリスト者は、神様やイエス様を信じていない方とも「良心」は共有できます。キリスト教を信じていない方々の良心に語り掛け、共有すること、特にこの日本において少数派である私たちキリスト者の使命かと思います
えくれしあ387号20240519発行より