2025/01/28 私たちに来られたイエス キリスト、私たちと共に生きているイエス様!

私たちに来られたイエス キリスト、私たちと共に生きているイエス様!

 

カトリック京都南部ブロック協力司祭イ・ウォンギュ、ラファエル神父

今から6年前の2019年、私は教区長ペテロ司教様の意により、宣教実習でカンボジアへ行きました。私はカンボジアの首都プノンペンで1ヶ月間、カンボジア語を勉強した後、北部国境近くにある村の教会に派遣されました。そこには、神父様と修道女そして三十四人の高等学校男女学生たちが共同体として生活していました。教会に初めて行った日、学生たちが全員出てきて、私を温かく迎えてくれて、同時に私を歓迎する意味で、サッカーをしに行こうと誘ってくれました。私はその話を聞いて、急いでカバンから紙幣を何枚か取り出して財布に入れました。サッカーも良いが、学生たちが普段食べられないお菓子を食べさせたら、その方が喜ぶと思ったからです。

私たちは土畑で、男女区別なく皆一緒に、たくさん笑いながらサッカーをしました。
ところで、楽しくサッカーをしていたら、お菓子を買う暇もなく、その必要もなかったことに気付きました。子供たちは、ただ一緒に笑って楽しい時間を過ごしたいだけだったのです。

帰り道に、財布に入れた紙幣が子供たちと共にサッカーをして流した汗に濡れているのがわかりました。そして、その瞬間、彼らを「貧しい」と思って、お金で彼らに何かを買って与えれば喜ぶと思った自分が恥ずかしくなりました。彼らは、私がそこを離れる日まで、お金を持っている韓国の人としてではなく、自分たちと共に過ごした兄弟として接してくれました。

いつかは、韓国から送られてきたラーメン20個を、42人で食べたこともありました。出来上がったラーメンを各自の器に等しく分けた後、皆一緒に食事前の祈りを捧げた時、その瞬間、私はこれがまさに神様が起こしたパン5個と魚2匹の奇跡のようで、心が温かくなりました。確かに私たちの器には、とても少量のラーメンがあり、食後にも、空腹を感じることが明らかでしたが、その日、ラーメンを食べられない人が、1人もいない事に感謝して、皆で共にした豊かな食事でした。

学生たちが学校へ行く朝には、私は教会で運営する福祉センターに出勤しました。そして、そこの職員の兄弟姉妹とともに農村にある学校と家庭を訪問して、本と学用品、服と米などを配りました。特に配る物がない日でも、学校を訪問するときはいつも先生と学生たちは教室から出てきて私たちを迎えてくれて、村の住民たちもいつも明るい笑顔で水と食べ物を分けてくれました。

特にコオロギの炒めものや子蛇の天ぷら、茹でたタニシ、田んぼで釣れた魚、そして良く熟したマンゴーを干した物、焼いた甘いバナナが特に記憶に残っています。蒸し暑さの中で、扇風機1つなく勉強する生活をしながらもいつも笑顔を失わないで、両手を合わせて挨拶をしながら迎えてくれた学生たちと先生、そして住民の方々に、かえって全てが大変だった異国での私の心が支えられたことを思い出します。

突然降った豪雨で、泥畑になってしまった道に立っていた私に、自分の耕運機に早く乗れよと手を差し出した農夫のおじさんの顔。一際暑かった日に、ノートと鉛筆を配る時、顔に汗がだくだく流しながら、子供たちが幸せそうだから、自分は大丈夫だと明るく笑った職員の方。午後の長い時間、藁をかき集めて疲れているのに、藁をいっぱい載せて行く耕耘機に腰掛けて、笑っていた学生たちの顔、本当に感謝の言葉を述べながら、自分が育てた鶏を私にくれた住民の方。これらが全て、私が共にした美しい写真の一場面として、心に残っています。そして、未熟な私は、このようなカンボジアの方々の優しい心と手助けで、数々の良い体験を出来ました。

このように私が出会ったカンボジアの人々は、たとえ貧しくても素朴な心で互いに分け合い、互いに助け合い、幸せに生きている方々でした。私はこのような方々の人生を通じて、私たちに何かが足りなくても、お互いに心を開いて、力を合わせる時、どれほど大きな力と幸せを感じることができるか、を強く体験しました。

ある日のこと、その日は助けが必要な、ある女子学生を家まで見送った日でした。職員の方と私は退勤時刻も構わず、延々と3時間の土の道を走りました。しかし、その時間がとても幸せでした。デコボコの道に、ひどく揺れて腰が痛かったのですが、ひたすら、うれしがる子供と一緒に彼女の家へ行くその道は、長く感じませんでした。そしてイエス様が浮び上がりました。未熟な私さえ、人のために走るこの3時間がとても幸せなのに、私たちの為にいらっしゃったイエス様は、私たちに会いに来るその道がどれほど幸せだったでしょうか。

そして今、私たちの傍で、私たちと共におられるイエス様は、どれほど幸せだろうか。
そして考えました。イエス様は、本当に私たちと共にしたいのだな、と。
それで、私たちのイエス様は、私たちの傍に来られて、最後まであの十字架から降りられないのだな。イエス様は、真に私たちを愛されたのだな。毎日ミサの中で、聖体礼儀が始まります。神様のからだが割れる時、石のような私の心も割れたら良いのです。そして自分のからだを喜んで分けてくださったイエス様のように、未熟な私だが、誰かのために自分を差し出す事ができる人になれたらと思います。

2025年01月28日