「弁 護 者」
洛北ブロック担当司祭 鶴山 進栄
昨年5月、福音宣教企画室から現代世界憲章についての講話の依頼をいただき、今年2月の講話まで、ちょっとずつ準備をしてきたわけですが、私自身勉強になりました。教会は神との親密な交わりしるしであり道具で1あり、信仰共同体ということが基本にありますが、パウロ6世が言われるように教会はこの世にあって、単に自分自身が目的なのではなく、全人類に対して奉仕します。キリストを全世界の個人と諸民族に、広く、燃える心をもって現前させ2る使命を持っています。信仰を形にしていく、この世界を神様の望む有り様に近づけるために奉仕するということでしょう。端的に言えば平和と社会正義という言葉に要約されると思います。
平和と社会正義、大切なことですが、反面、ピンとこないという信徒の方もおられると思い2月の講話の際は日常生活とどう結びつけていくか、ということを考えました。
準備の際、できる範囲でいろんなものに目を通したのですが、フランシスコ教皇様が1月15日バチカンで行われた児童労働に関する講話をバチカンニュースのwebsiteを通じて読み、紹介したいと思いました。少し引用します。
イエスは、わたしたちに立ち止まり、声なき人々、学校に行けなかった人々の苦しみに耳を傾けるよう願われる。搾取、特に未成年者への搾取と闘うことは、社会全体のより良い未来構築のために進むべき道である。
ここで自問しよう。わたしに何ができるだろうか。第一に、児童労働を絶やすためには、それに加担してはならないと認識すべきである。それはどういう時か。たとえば、わたしたちが児童労働を用いた製品を購入する場合である。その食べ物や服の裏側で、学校に行くかわりに働かされている、搾取された子どもたちの存在を知りながら、どうやって食べ、着ることができるだろうか。自分たちが購入する物についての認識は、加担者とならないための最初の行動である。
個人では多くのことはできない、と言われるかもしれない。しかし、一人ひとりが一滴となり、他のたくさんの一滴と合わされば、海にもなれる。
今回、原稿を書く前に係の方から聖霊について書いてほしいとご依頼をいただきました。そこで私は「弁護者」(ヨハネ14:16,26)という言葉に注目してみようと思いました。ある英語の聖書を見るとadvocate と表記されています。ところで数年前、ある会議に出席した際advocacyという言葉を初めて知りました。その会議の中で弱い立場に立たされてしまった方々の実情について報告がなされたわけですが、この会議の後、単語を調べてみたら「弁護」とか「代弁」という意味があることが分かりました。弱い立場の方々あるいは子供たちのことを知って、代弁することがadvocacyであれば、彼らのことを思い行動することもまたadvocacyであり、弁護者advocateに倣い、形にすることではないかと思ったわけです。
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1.教会憲章No1参照
2.第二バチカン公会議教皇演説集p148 第四会期開会の演説