年間第28主日の勧めのことば(10月10日、尹師)

年間第28主日 マルコ10, 17-30

ヨハネ福音の17章・3節に、「永遠の命とは、唯一の真の神でおられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」と、書かれています。

知ると言う言葉は重要です。神は私達と一緒におられる事、私達と共に同伴してくださること。私達をあまりにも愛してご自分の命でさえ差し出した方であることを知る事です。

 「一つの足りないことのせいで全体が消える」と言う話があります。金持ちの青年が願った永遠の命を得るために青年は、イエス様のお勧めに従って、財産を貧しい人々に施しいしなさいと言う御言葉に従って放棄すべきでした。それが出来なかったから残念でした。聖女アビラのテレジアは、神を持つ人は全てを持っていると教えました。

マタイ福音8章34節を見るとイエス様は「私の後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とおしゃっています。

今日イエス様は、「財産のあるものが神の国に入るのはなんと難しいことか」と言っています。「子たちよ!神の国に入るのは、なんとむずかしいことか。金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい」。そのように考えたら神の国から遠い人です。しかし、人間の力では不可能ですが、神様に全て委ね執着から自由な身になったら可能になるでしょう。

イエスの教えに従って、持ち物を自分のためだけではなく、神の国のために、貧しい人のため、周りの人のために使っているなら、きっとその人は神の国に近い人だと言えるでしょう。神の国というのは死んでから行く国のことではなくて、今、神の呼びかけに答えて、他の人への愛となったときに実現する国なのです。執着から自由になった時、他人のための奉仕が始まった時、少しでもイエス様の教えを受け入れることが出来るでしょう。

イエス様に質問した青年は、子共ころから律法守り、良い人だったけど、真の神様を知りませんでした。また、貧しい人を思いやり愛するよりも自分の持ち物を大切にして、執着から抜け出すことができなかったのです。神様の真の呼びかけに耳を傾け、執着から解放されなければ私たちは神の真の姿、愛を知る事ができないでしょう。

イエス様はお金持ちの青年だけではなく、今日、今、私達一人1人に質問します。自分のもちもの以上に私を愛しているのかと。どんなにお金を積んでも買うことのできない神の命という宝をただで与えられた私達が、その命を土の中に埋めることなく、神の御旨に従って使っていくことで、神の国を実現出来るように神に委ねましょう。

2021年10月09日