年間第5主日 マタイ1:29~39

年間第5主日 マタイ1:29~39

今日の第一朗読はヨブ 7・1−4、6−7です。苦しみを抱いて、眠れない夜を過ごしているヨブは絶望し、嘆きの祈りを捧げます。第 二朗読は、使徒パウロは福音を伝えるために、すべての人にすべてのものになろうとして、自ら僕になったと言います。また、自分の使徒職に対して、「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。と言っています今日のイエス様は熱で苦しんで寝込んでいるシモンのしゅうとめをいやします。続いて様々な病気の人や苦しんでいる人々をいやし、多くの悪霊を追い出します。

そして、次の朝、早く起きて祈り、その後、他の町々に出かけ神の国の喜びの知らせを伝え、本格的な公生活に入られます。イエス様はあらゆる病人を皆いやし、悪霊を追い出し、ご自分の喜びの知らせが実現されます。イエス様がこの世に来られた目的は、神様の国の福音、すなわち、救いの喜びを告げ知らせることです。

「貧しい人に良い知らせを伝えさせるため、打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告げ知らせること(イザヤ・1))が使命であります。弟子たちの使命も教会の使命も私たち一人一人の使命も同じ使命です。今のこの時代でフランシスコ教皇は、特別に強調なさった使命も同じです。特に貧しい人々を覚えなさいと仰いました。

今日のイエス様は、日が暮れて夕方になるまで、体や心の病気の人、苦しんでいる人々を世話していやされます。これはわたしたちがしなければならないことであり、使命であります。しかし、この使命をイエス様のように、生活の中で実際に実践して、一緒にするために、まず優先しなければならないことがあることを忘れてはなりません。それが「祈り」です。

今日、私たちは福音の中で、イエス様の宣教の姿を見ることができました。日が暮れて夕方になるまで、人々は病人と悪霊に取り付かれた人々を皆イエス様のところへ連れて来て、それこそ、休む時間もなかった状況であることが分かります。その中でも、次の日、朝、イエス様はまだ暗いうちに起きて、人里離れたところへ行かれ、祈られたことが伝えられています。この祈りの力で疲れを知らない宣教使命のエネルギーを得ておられたのです。

御父である神様との交わりの中で、祈りを通して、毎日、毎日を新たに始まることができたのです。もし、私たちも皆、宣教と奉仕活動がこの聖霊と祈りに基づいていないのなら、長続きはしないでしょう。それはガソリンがない車と同じです。

絶え間なく走り続けるためにはエネルギーが必要とされることと同じです。また、根もない木はすぐ枯れてしまうことと同じようなことなのです。今日の福音のみ言葉を通して、私たちがしなければならない宣教の使命と目的、また、その使命を実践し完成して行くために、まことに必要なことが何かを心に深く刻むことができますように恵みを祈りましょう。

2021年02月06日