「聖母被昇天」の祝日に「平和」を
聖ヨゼフ修道会 シスター山本久美子
「聖母被昇天」の祝日おめでとうございます。
8月15日は、カトリック教会にとっては「聖母被昇天の祝日」、そして日本にとっては「終戦記念日」として大切にされている日です。8月6日から15日までの10日間は「日本カトリック平和旬間」とも定められています。
「聖母被昇天」とは、一般常識では理解し難いことですが、イエス・キリストの母である聖母マリアが、地上の生涯を終え、父なる神によって、からだも魂もともに天の栄光に上げられたという意味です。その日の叙唱には、「あなたは、いのちの主・キリストの母マリアを、死後の滅びにゆだねることなく、きょう天の栄光に上げられました。こうして聖母マリアは、教会の初穂として神の国の完成にあずかり、旅する民の希望、信じる者の慰めとなりました。」とあります。つまり、聖母被昇天は、信じる民である私たちが、マリアのようにいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに与れるようにと祈る祝日です。
マリアは、ナザレの小さな町で暮らす、どこにでもいるようなごく普通の娘でした。しかし、マリアは神の呼びかけ・ご計画に「はい」と応えることによって、救い主イエスの母となり、イエスを育て、イエスとともに十字架のもとまで歩み続けました。我が子が十字架上で殺されるという極限の苦しみや不安の中でも、神への信頼を失うことなく、そして憎しみや報復の道を選ぶことなく、祈りと愛の道を歩み抜く母となられたのです。マリアの被昇天は、究極まで神の愛に応えた人の人生の完成であり、私たち一人ひとりもその人生に倣うことによって、永遠のいのちが約束されているという希望を与えるものです。
また、「終戦記念日」にあたり、私たちは、戦争の犠牲となったすべての方々のために祈り、戦争の悲惨さや苦しみを思い起こし、あらためて平和の意味を心に刻んでいます。今もなお世界のあちこちで、争い、戦争は続いています。いのちが軽んじられる事件も絶えません。紛争や迫害によって亡くなった多くのいのち、家族や親しい人を失った人々、難民として国を逃れ住む場所を失った人々、教育や医療を受けられない子どもたち、見えないところで傷ついている多くの心…。
今、私たちにできることは何でしょうか。 私たち一人ひとりの使命は何でしょうか。
小さな町に生きた一人の女性が神の呼びかけに「はい」と応え、救い主イエスをこの世界に迎える大きな使命を果たしました。マリアが、その生涯を通して、苦しみの中でも信じ、愛し、希望し、平和を選び、信じる道を歩み抜いたように、今を生きる私たちも、神の導きに耳を傾け、「はい」と応えて歩んでいけるなら…その一歩一歩は、真の平和、永遠のいのちへの道にきっとつながっているはずです。
私たちは、今苦しんでいる人々に心を向け、具体的に手を差し伸べる勇気を願いたいと思います。一人ひとりにできることは、小さなことかもしれません。争いのない言葉を選ぶこと。ニュースの向こう側にいる人々のいのちに思いを寄せること。沈黙の中で、平和のためにひたすら祈ること。それぞれの場所で、心の中に「平和の火」を絶やさないこと。それが未来への一歩になると信じましょう。いのちと尊厳が守られる平和のために、私たち一人ひとりが、その小さな道具となれますように、私たちの希望のしるしとなってくださる聖母マリアの取次ぎを、心を合わせて祈りましょう。