年間第18主日の勧めのことば(尹師)

年間第18主日 マタイ14章13~21節

今日、イエスは「行かせることはない。あなた方が彼らに食べるものを与えなさい。」と、弟子たちに言われました。弟子たちは 「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 と、言います。
 現代はより一層、個人主義になって互いの親交が薄くなる社会です。今日、福音の中で、イエスは弟子たちが持っていたパン五つと魚二匹がイエスの手を通して、神様の祝福をいただき豊かになることを伝えています。

自分が持っている物を分かち合う時、差し出す時、奇跡は始まります。マザーデレサは「貧困をつくるのは神ではなく人間です。わたしたちが分かち合わないからです。」と、言います。
今日、イエスは天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになって、弟子たちはそのパンを群集に与えました。イエスはいつも憐れみをもって人々に‘愛と関心’を現わしました。

神を信じる人は、隣人に対して思いやりをもつ必要があります。そして主の祈りの中で、私たちの日ごとの糧も神様からいただいたと祈るなら、感謝する心で隣人と快く分かち合うでしょう。分かち合う時、私たちの周辺の飢えと貧しさは消えていきます。そうして、豊かさの象徴である残ったパンの屑を集めると十二のかごいっぱいになっていきます。

キリスト中心の聖餐、すなわち聖体の秘跡であるミサは、親しい交わりの神秘をわたしたちに思い起こさせられます。そして今日の福音を通して、わたしたちに、この分かち合う、したいし交わりを実践するように促しています。
「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いたときに飲ませ、旅をしていたに宿を貸し、裸のときにきせ、病気のときに見舞い・・・(マタイ25,35-46)」と、言われている神の正義と公平の審判に対する神の基準は何か示しています。

この話を通して、飢えている人に食べさせ、のどが渇いた人に飲ませ、旅をしていた人に宿を貸し、裸の人にきせ、病気の人に見舞いすることが神の正義と公平を実践していることだと伝えているのです。

隣人と貧しい人々を助け、持っている物を共に分かち合って生けるように招かれている神の兄弟、姉妹であることを忘れてはいけないのです。今日もイエス様は「行かせることはない。あなた方が彼らに食べるものを与えなさい。」と教えています。感謝の心を持って分かち合う時、奇跡が始まります。

主が私たちに与えてくださる命の糧は、私たちの一番深い渇きを満たし、世のものでは満たされない飢えを癒してくれます。イザヤ書は、人間の力で、その値を払うことができない賜物を主は無償でくださると言います。神様の愛に感謝しながら、私たちの心を開いて隣人と分かち合うことができますように、聖霊が助けに来てくださるように祈りましょう。 

2020年08月01日